蠍座ともやもやとブログと泥団子

トランジット木星, 蠍座

木星蠍座入りの記事のアクセス数を見たら死にそうになったので、しばらくは解析を見ないことを心に誓った。

それはさておき、あたりさわりのないことしか書けていない自分にがっかりして発作的に記事を消したくなるんだけど、それって自分に対する期待値が高すぎなんじゃないだろうか。
「自分ならもうちょっと変なもの!書けるのはずなに!」は自分に対する過大評価だし、そう思ってしまう根拠は特にない。
あと、自分の言葉だからこそつまらなく感じる面もありそうだ。

というのは前置きで、今回は「他ならぬこの私にとっての木星蠍座期間(予定)」について書いてみようと思う。

木星蠍座入りの記事が自分的にあたりさわりのない内容になってしまった原因として、「蠍座の木星」というふわっふわな象徴を個人レベルにまで落としこめていなかったことが考えられる。星の意味を地上に降ろすための依り代がなかった、とでもいえばいいのだろうか。
また、「木星が蠍座にいるってことはこんな感じじゃない?こんなことをしたらよさげじゃない?」ということを書いておきながら、自分では参考にする気があまりなかった。蠍座木星をずっとやってたら疲れそうだから(疲れてなんぼのもんの星座のような気もするけど)、火星が蠍座に入ったときだけ蠍座やればいいか…と頭の片隅でぼやーっと思ってた。
そんな背景があったわけだから、「とりあえず木星蠍座を自分に落としこんでみて、それを記事にしてみよう」と決めたわけだ。

木星蠍座期間の個人目標

内容はなんでもいいからとにかくここで記事を書きまくる。
そして書きながらこのブログの方針を考える。
(結論を出すとは言っていない)

以上だ。

これだけだと言葉が足りてない気がするので長いわりに益体のない話をすると、私は自分で書いてきた占星術記事が気にくわない。
まれに読み返したりもするんだけど、「知ったような顔でなに書いてるんだ!おまえになにがわかる!」とすっごい自分に対して攻撃的な気分になる。そして自分に対する「おまえなにさまなの?」といういら立ちがふつふつとわき上がってくる。
できあがった記事を冷静に読み返すと違和感にぞわぞわする。なんでこんな自己啓発的な(?)記事を書いているんだ?と頭を抱えたくなる。
アドバイス要素を入れたほうが需要があるから…という理由でハウツー?啓発的な?内容も盛り込んでいるのはたしかなんだ。でも、そういう「私のアドバイスを!食らえ!そしてしね!」みたいな記事をそれなりに楽しく書いてしまったことに嫌悪感を覚える。しかも、私は書いたらとりあえずひとに見せたくなってしまうので、ツイッターで「新しく記事を書きました!」と書き上がった勢いのままに宣伝してしまう。そして拡散してもらえたことに感謝しつつもゲロを吐きそうになる。

よくよく考えてみると、自分のなかにあるこういったもやもやとした違和感、無力感、そして自己嫌悪って、きわめて蠍座的なものなんじゃなかろうか。
蠍座は否定のエネルギーだ。嫌なものを排除する力であり、感情に結びついているから合理性もクソもない。もういっそぜんぶ焼き払っちまえ!みなごろしだ!と、圧倒的火力で自分も他者もころころしてしまうのだ。

正直、このままだと文章を書くのがつらくなる一方だなーと前々から感じていた。どん詰まりとまではいかないけれど手詰まりだった。
だったら木星が蠍座に入ったのを口実に、雑記ブログを書くことで自分のなかにあるもやもやに向き合ってみるのもいいかな~と思った。
そのために、どんな内容でもいいから記事を書きたいように書いて、「自分はなにが書けるのか」「どんな記事を書きたいのか」「なにを書くと楽しいのか」「なにを書くと嫌な気分になるのか」あたりを徹底的に掘り下げてやろうと思った。外野からやんややんや言われたら、嬉々として石入りの泥団子を投げつけるつもりだ。圧倒的な暴力もまた蠍座力である。

ちなみに、このブログは天体の運行はガン無視で、作りたいから作った。なにを書こうか決めてなかったし、それどころかブログの目的さえ固まっていない。
木星が射手座に入るころには、どんなブログにしていこうか決まっていればいいなー、と思う。
もし途中で飽きても、それはそれでまあいいんじゃないかな…。