ブログを書くのは体に悪い
昨日上げた記事、「とりあえずなんでもいいから書こう」って思って書いたから出来は度外視のはずなんだけど、でもやっぱり「だれに向けて・なんのための文章か」を定めなかったせいで、なんとなく気分がすっきりしない。
そもそも占星術ってのが具体的な対象と「なにを読みたいのか」という目的がないと、ふわっとしたことしか言えないものなんだろう。
ふわっとしたものを読むことは嫌いじゃないんだけど、自分で書くとなるとなんだか気持ち悪い。でも抽象的なまま突っ走っちゃうこともままあるんだよなあ。
昨日は記事を上げた勢いでぼやーっとツイッターのタイムラインを眺めたりしてたけど、やっぱり蠍座木星入りのあれやこれ(記事やつぶやき)は多かった。そりゃそうだよな、木星というビッグウェーブが来たら乗るしかないよな。
だからこそ、もうちょっとひねった…というか具体的な切り口で記事を書ければよかったなあ。
だったら創作活動に寄せて蠍座木星の記事を書けばよかったのかもしれないけど…でも「創作活動」っていうのもだいぶざっくりしてない…?
オンラインとオフライン、文章と絵、ハンドメイド、それに音楽、一次創作と二次創作、趣味と公募、そしてプロとしての活動…だいぶ幅がある。
あと、私は蠍座の「ものごとの負の側面の持つパワー」を取り上げずにはいられなくて、でもそれを創作活動に当てはめるとどうにも生々しくてえげつない話になってしまう。
でもやっぱ書きたいなー、という気持ちはあるから隙を見て書いてみようと思う。⇒書いた
文体についてもかなり迷っている。
今まで「ですます調」でばかり記事を書いていたから、「である調」で書くことに抵抗がある。
でも、「ですます調」だと読者が絶対いる!間違いなくいる!ということを装丁している力みを感じてしまって、どうにも落ち着かない。
いろいろ書いて試行錯誤するしかないのかな、って感じ。
もっとも根本的な問題として、このブログの書き手が何者なのか定まっていない。
私のブログであることはたしかなんだけど、でも、書き手である私は何者なのだろうか?
なんかもう雑に「占い師の雑記ブログ」でいいかな、という気もしてきた。というかそれでいいでしょ。そのつもりで作ったブログだし。創作活動のための記事はいつもどおりホシカンにぶちこんで。
こんなふうに、個人ブログをはじめるとブログのことで頭がいっぱいになってしまう。
前に書いた記事を直したくてしょうがなくなったり、次はあれ書きたいこれ書きたいでも面倒、でも自分が書かなきゃだれが書くんだだれかが書くでしょそれも嫌だー、とそわそわして落ち着かない。心置きなく床でごろごろできない。
だからブログを書くことって、わりと体に悪いような気がする。