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魚座の月の欲求
前回の記事で、「魚座のテーマは『すべての統合』です」……とそれっぽいことを書きました。
心理占星術では、月は「~したい欲求」と読みます。
なので、魚座の月は「すべてを統合したい欲求」を持っていることになります。……といっても、これだとわかるようなわからないような感じの表現なので、「すべてと一体化したい欲求」と言い換えてみましょう。わかるようなわからないような、でもちょっとわかるような気のする表現になった…と思います。
そもそも「すべて」とはいったいなんなのでしょうか。きっと魚座に月を持っているひとなら「ああ、なんかわかるわ~」となるはずです……と説明をぶん投げたくなる程度には抽象的なもののように思えます。
魚座の言う「すべて」とは、この世界(『この世』とはかぎらない)に存在するありとあらゆるものであり、あまりにも情報が膨大すぎるゆえに、有限性のなかで生きる人間にとっては「茫洋としたもの」「ぼんやりとした曖昧なもの」としか認識できない……そんな感じのものだと考えています。
そんなわけで、魚座の月を持つ方はぜひ「魚座はこんな星座で、『すべて』というのはこういうもののことだよ~」と真理を突くような言葉を探してみてください。もしかすると、言葉である必要はないのかもしれません。ありとあらゆる抽象的なものを表現することができれば、魚座の視ている真実が世界に広まってゆくはずです。
さて、魚座の月を持つひとが「すべてと一体化したい欲求」を満たすためには、いったいどうすればいいのでしょうか。
自我を手放し大いなる流れに身を委ねるのです……と思いつきで適当なことを書きかけましたが、「どうやって自我を手放すんだよ」「というか大いなる流れってなんだよ」とつっこまれてしまいそうです。
魚座は「水」の星座なので、「くっつく性質(水の凝集力)」があります。したがって、対象との一体感を得られれば満足できるはずです。
魚座の場合は「くっつく対象」が「世界」「全体」「みんな」でとてつもなくでっかいので、ただ地面や道行くひとにべたーと張りつくだけではきっと満たされません。
小さな魚は群れることで巨大な魚影となり、人間の身体も無数の細胞が集まることでできています。
自分が一匹の小魚やひとつの細胞であると同時に、群や人体を構成している一部分である――そんな感覚に意識を向けてみると、魚座というものを理解しやすくなる……かもしれません。
魚座はイメージやビジョンの星座です。同時に、夢見の星座でもあります。ゆえに、「みんなで同じ夢を見る」という行為を通して、全体との一体感を得ることができると考えられます。
そのための手段のひとつが芸術です。絵、音楽、詩、映画、演劇、小説、漫画――ありとあらゆる作品は大勢のひとびとと共有可能なものです。魚座の見た夢を形にすれば、国境や時代を超えて遙か遠くまでイメージを届けることができます。
また、蝶のはばたきが嵐を引き起こすかもしれないように、魚座の夢を表現するために始めた小さな行為が、世界を巻きこむ巨大なムーブメントに変わっていく可能性もあります。それは善意の連鎖かもしれませんし、もしかすると人類の滅亡に繋がるものかもしれません。
また、圧倒的なものを前にしたときに心を奪われる感覚も、魚座の月を満たすものです。夢中になって、陶酔して、熱狂して、忘我の境に入ることは、自我を手放すことに他なりません。一時的な自我の喪失、と言い換えることもできるでしょう。
この「圧倒的なもの」は夕焼けや満天の星空といった人間にはどうしようもない自然かもしれませんし、絵画や音楽と入った芸術かもしれませんし、連綿と紡がれてきたひとびとの日々の営みの形跡かもしれませんし、バケツいっぱいのカエルの卵かもしれませんし、焼き餃子のパリパリの羽しれません。
この世のありとあらゆるものが「すべて」の一面なのだから、恍惚感を覚える対象がなんであっても構わないのです。
魚座は多面性を認め、境界線を取っ払い、なにもかもを同じまなざしで視る星座です。それゆえに、魚座の月を持つひとは嘘と本当、夢と現実、自分と他人の境目があいまいになり、迷走してしまいがちな面を持ちます。
これを防ぐためには、いったいなにが事実で、なにが自分の推察や想像なのか、都度確認していく必要があります。もしかしたら、実際には起こっていないことや、だれも言ってないことについて悩みすぎているかもしれません。
また、明るい可能性だけではなく暗い可能性にも気付いてしまいやすいので、未来に恐怖や不安を抱きやすい面を持っています。
魚座はものごとの全体を見る星座です。そして全体を把握できるよう広い視野を得るためには、遠くからものごとを眺める必要があります。
つまり、魚座は遠方を眺める長けた星座であるために、近くばかり見つめているとピントが合わなくて、なにもかもが覚束なくなってしまうのです。
不安を感じたら自分から遠いものに目を向け、力を抜くようにすれば、魚座の月も安定してくるのではないでしょうか。
魚座の月の作風
魚座の月を持っている方の作品は、正直なんでもあり……という印象が強いです。ものすごく壮大なテーマを掲げていると思えば日常の細やかな幸せを描いていたり、善性と光に満ちた世界を表現していると思えば、残酷だったりどうにもならないようなことを作品にしていたり……。
いずれにせよ、ひとびとの願いや想い、あるいは理想が、作品の基盤になっているようです。それは尊くて美しいものだったりする場合もあれば、行き場のない哀しみや失望に満ちたものだったりする場合もあります。
結局のところ、魚座の月を持っていると、人類にとって普遍的なもの――たぶん「愛」とかそんな感じのものに作品が収斂するのだと思います。「愛」を表現するためにわざと俗っぽかったり、荒っぽく描写したりと、幅広いアプローチをするのも魚座の月の特徴ではないでしょうか。
また、「善悪」や「美醜」といったものごとを二極化するような判断をしないのも、魚座の月らしさだと考えられます。もしかすると、魚座の月のひとからすると「なにもかもが美しくて、醜い」のかもしれないなぁ…と感じることもしばしばです。
物語形式の作品であると、たくさんのひとびとの祈りを背負い、犠牲となる人物をよく描くのも、魚座の月の特徴だと思われます。
ひとびとの期待を背負うことによって個人としての幸せが絶たれるパターン、ひとびとの怨嗟を押しつけられて幸せを奪われるパターン、どちらも魚座に好まれている印象です。
ひょっとすると、魚座に月を持つ創作家さんは、無意識のうちにひとびとの想いをすくい上げて、作品という形に変えているのかもしれません。
作品をつくることに集中してい間、ひとは自我を手放した状態になっています。また、実際にできあがった作品を改めてみてみると、いい意味で「どうしてこんなものを表現できたのだろう」と感じることもあるかと思います。
そういった魚座的な無意識の世界から湧き上がってきた豊かさを享受できるのも、創作活動のおもしろさなのでしょう。
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