蠍座木星の歩き方

トランジット木星, 蠍座

10月10日から木星が蠍座に移る。

だからなに?とは言えないような仕事もしているので、アクセス数稼ぎも兼ねて蠍座木星の私なりの解釈についてつらつら書いてみることにした。

さて、木星の話をする前に、まず土星の話をしておきたい。
土星といえば「ふつう」。
「ふつう」とはそのひとにとっての常識であり、「世の中ってこういうもんだろう」という感覚で、時と場合によって「常識」や「偏見」と呼ばれたりもしている。
私は「ふつう」を「そのひとが知っているひと・もの・ことの平均」と定義している。
だから、ひとによって「ふつう」は違うし、同一人物でも年月を経るごとに「ふつう」は異なっていくんだと思う。

木星は土星の内側を公転している。
「冒険」や「挑戦」を象徴している天体で、世界を知ることでそのひとにとっての「ふつう」を広げてゆく役割を持つ。「見識」と解釈してもいいのかもしれない。
木星がもくもくしていると、可能性、未知のもの、今ここにないものを求め、(後先考えず)どこまでもいってしまうことになる。
「細けぇことはいいから、とりあえず未知の分野にエネルギーを注いでみよう!」くらいの雑なノリが木星の肝かなあ。

「冒険」のサイズ感は、自分に合わせて変えてみることが大事だと思う。
たとえば、今まで読んだことのなかったジャンルの本を読んでみたりとか、普段なら行かないような店に行ってみたりとか。
海外旅行をするにしても、お近くの韓国や台湾に行くだけで大冒険のひともいるし、車さえ使えない場所まで行かないと冒険した感覚が得られないひともいる。
筋トレをするとき、現状に合わせて負荷を調整するイメージ。

そして木星はやたらめったら勢いがある。
多少抵抗を感じることであっても、「なんかよくわかんないけどおもしろそう!」という勢い(だけ)で、新しいものごとに取り組んじゃうのが木星の力だと思っている。
普段なら「こんなことできるかよ…」とゲロゲロしてしまいそうなことでも、木星のもくもくに当てられているときは「ま、なんとかなるだろ!」という根拠のない自信がわいてくる。
ノリでなにかをやってみることで世界がもくもく広がり、自身の見識の平均値である「ふつう」という感覚も、今まで以上に豊かなものになっていくんじゃないかな。

天秤座の木星

2016年9月9日~2017年10月10日は木星が天秤座にいた。

天秤座といえば「社交」、いろんなひとびとと交流してなんぼの星座というイメージ。
社会に向かって窓を開いて、窓の外の世界からもたらされた風に乗ってみる。そんな冒険をしておきたいのが、木星が天秤座にいる期間だった…んだと思う。
もちろん、ひとによって冒険の種類は違うはず。
今まで交流のなかったひとと関わることが冒険だったかもしれないし、流行に乗ってみることが冒険だったかもしれないし、他人から好ましく思われるよう振る舞ってみたり、外見を改めてみることが冒険だったかもしれない。
そんなこんなで社交面で冒険したり迷走したりしているうちに、新しい人間関係に疲れてきて付き合う相手を絞りはじめたひともいただろうし、自然と付き合う相手が絞られてきたひともいたはず。
だとしたらそれでいいと思う。

蠍座の木星

2017年10月10日~2018年11月8日は木星が蠍座でもくもくすることになっている。
天秤座も蠍座もどちらも他者との関係性のサイン。天秤座で広げた人間関係を、蠍座でぎゅっと濃縮する感じ。しがらむ、といってもいいのかも。

天秤座木星が「来る者は拒まず、去る者は追わず」ならば、蠍座木星は「来るものは拒み、去る者は追う」くらいのスタンスで取り組んでみるとおもしろそうだ。
木星が天秤座のときに得た「ちょっとした縁」を、今度に「深い縁」に変えてみる。興味のあるひとをもっと知ろうとしてみる。深く関わってみる。特定のだれかが隠しているなにかにあえてつっこんでみる。

むしろ、見たくなかったのに巻き込まれてしまうことのほうが多いかもしれない。
だったらいっそのこと巻き込まれてしまってもよさそうま気がする。
見たくないのに見えてしまう、あるいは見せられてしまうもののなかには、他者だけではなく自分由来のものも含まれていてもおかしくない。
蠍座では自分と相手との境界線が消えて、互いが内に秘めていたどろどろがぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまう。
他者、そして自分の感情や欲望といったどろどろとしたものに飲みこまれて、息ができなくて上も下もわからなくなったとき、果たしてどうやって生き延びるか。
それが蠍座木星の冒険なんじゃないだろうか。

あるいは、泥のような欲望のなかでもがくことによって、腹の底に埋もれていたり、眠っていた宝物を手に入れられるかもしれない。
それは自分の資質や、自分にとってかけがえのないもの、自分のなかにある美しさだったりしてほしい。

蠍座にかぎらず水のサインは「過去」でもある。
だから蠍座木星期間中に、過去に失ったものを取り戻そうともがいてみたり、過去に果たせなかったことを今度こそ果たそうとするのもありだと思う。
過去に求めたものを今度こそ手に入れられるかもしれないし、なにか別のものを獲得するかもしれない。

もちろん、「どうやっても無理だ、私にはこれを手に入れられないんだ」と思い知る可能性だってある。
でも、どうしたってなにをやったって得られないとを身をもって知ることで、スッパリと先に進むことができるかもしれない。
一方で、なんど失敗してもあきらめられないことを悟るというケースも考えられる。
「あきらめること」をあきらめて、一生取り組んでいく覚悟が固まれば、それはそれでいいことなんじゃないかな。

しかし堅苦しいことをあれこれ書いてみたものの、進んで人間関係の泥沼に飛び込んでいくのは、私の「ふつう」の感覚からするとちょっと狂戦士すぎる気がする。
だから、ただ単にコネを作ってみたり、逆に今まで切れなかった縁を切ってみようと奮闘するのもいいと思う。

あと、身の回りのだれかではなくて、一生関わることのないだろうひとに傾倒してみるのも蠍座的かな。
今生きている他者ではなくて、すでに亡くなってしまったひとでもいいかもしれない。
自分ではない何者かの色に染まってみる。何者かのエキスに浸ってみる。
そうやって凝り固まった自己だか自我だかを手放してみるのは、すごく気持ちよさそうな気がする。

個人的には蠍座をきれいな言葉、やさしい言葉で表現することに抵抗がある。
負の側面の持つ力こそが、蠍座の強さや魅力だと思う。
この世界はきれいで正しいままでは得られないもの、弱みを見せないと手に入らないものもぜったいにあるはずだ。
そしてどんな人間だって負の側面を持っていてもいいし、後ろ暗さを覚えていてもいい。そうじゃないとあまりに息苦しい。
アイドルだってうんこはするし、アイドルのうんこを忌避するひともいれば、アイドルのうんこをほしがるひともいる。

暗いもの、汚いもの、醜いもの、嘘、タブー。
そういったふだんなら隠されているもの、隠したいもの、自分では気づきたくなかったものに積極的に触れられる機会が、蠍座木星の時期は豊富にあると読んでいる。
だから、あんまり気負わずに肥だめにつっこんでいければいいと思うし、うっかり肥だめに落ちても「まあ蠍座木星だしなー」と雑な感じで強く生きていきたい。
クソまみれにはなりそうだけど。